どんなにいやな相手だと思っても、殺そうとまでは思わないものです。それはどうしてでしょうか。刑罰があるから? 割に合わないから?じつは人を殺したくないからのようです。
- 5人を救うために1人を犠牲にすることは正しいのか!?
- 直接的な殺人をとめるのは感情
- 道徳的な個体が生き残った
5人を救うために1人を犠牲にすることは正しいのか!?
倫理学の有名な思考実験に「トロッコ問題」というものがあります。
工事現場でトロッコが暴走を始めました。線路の先には5人の作業員がいます。このままでは5人の命が奪われます。しかし自分はトロッコの切り替えポイントの前におり、進路を別の路線に切り替えれば1人の作業員の命が犠牲になれば5人は助かります。これは自分は路線を切り替えるべきか否かを、倫理的な観点から考える問題です。
また、先述のトロッコ問題から派生した陸橋問題というものもあります。
工事現場のトロッコが暴走しました。その先には5人の作業員がいます。ここまではトロッコ問題と一緒です。しかし自分が居るのは切り替えポイントの前ではなく、トロッコの線路をまたぐ陸橋の上にいます。そして、その陸橋には、自分のほかに突き落とせばトロッコを止められる男性がもう一人立っています。自分の体重ではトロッコを止めることができないとき、このとき男を突き落とすべきかどうかが問題となります。
どちらも5人の命を助けるのに、一人の命が犠牲になる点は同じです。しかし多くの人がトロッコ問題ではポイントを切り替えようとするのに、陸橋問題では男性を突き落とそうとは考えません。
この違いは、トロッコ問題がポイントを切り替えるという行動を選択するだけなのに対して、陸橋問題は男性を突き落とすという自身の直接の意図と行動で人が犠牲になることから生まれると言われています。
たとえ結果が同じだとしても、自らの直接的な行動で人が死ぬことに躊躇が生じるというわけです。
直接的な殺人をとめるのは感情
心理学者のジョシュア・グリーンは、この倫理学の重要な問題について考える脳活動を計測しました。
結果トロッコ問題では、記憶情報を処理して判断するワーキングメモリーに関連する脳の領域が活動したのです。一方、陸橋問題では、情動に関連する領域が活発に活動していることがわかりました。
また、トロッコ問題より陸橋問題の方が、回答に時間がかかることもわかりました。
これらの実験によって、トロッコ問題は理性的に判断している可能性が高く、陸橋問題は情動的に判断している可能性が高いことが判明したのです。道徳的な判断は理性から生まれると考えがちですが、じつは情動から生まれることがわかったのです。
突き落とせば5人が助かることは理解できるけど、「自分の行為で人が犠牲になるのは嫌だ」といった感情が殺人という行為を止めているのです。
道徳的な個体が生き残った
道徳が宗教や教育によってではなく、人間の感情によって生まれているのは、狩猟採集をしていた頃の人間の記憶を受け継いでいるからともいわれます。相互で援助し合う「道徳的な」助け合いこそが、生き残る可能性を高めるものだったからです。
道徳心を発揮してもらいたいときは、感情に訴えかけるのが得策となります。理詰めで犯罪防止を説いても、効果が薄いといえるのかもしれません。
このような情報に接すると、改めて他人や自分の感情の扱い方の重要性に気付かされますね。