他人に物事を依頼することに、苦手意識を感じる人はいるでしょう。しかし、日常生活でも、仕事でも、人に頼らなければならない場面はたくさんありますよね。そんなときは、とても簡単なコミュニケーションスキルを使って、スムーズに物を頼むことができるのをご存知でしょうか。それは、理由をつけて依頼すること。そしてなんと、その理由は、何でもいいのです。
- 部下に、同僚に、家族に、友人に、なかなか上手に頼めない人へ
- エレン・ランガ―のカチッサー効果実験
- ということは、お願い事に添える理由は何でもいい!
- 筆者も経験した、忘れられない出来事
部下に、同僚に、家族に、友人に、なかなか上手に頼めない人へ
誰かに仕事を頼むのがおっくうで、結局自分でやってしまう。家族に「家事を手伝って」と言えず、自分だけが遅くまで皿洗いをする……。頼みベタな人は、結局自分で仕事を抱え込んで、不満を溜めてしまう傾向にあります。もしかして、一度依頼をしてみて、断られた経験が尾を引いているのではないでしょうか。
「どうせ、私が頼んだって聞いてもらえない」と思い込んでいる人に、ぜひ試してもらいたい方法があります。それは、依頼に理由をつけることです。理由は、どんなものでもかまいません。
エレン・ランガ―のカチッサー効果実験
心理学者のエレン・ランガ―が行った実験に、「カチッサー効果」という言葉を生んだものがあります。実験者は、コピー機に並ぶ順番待ちの列の先頭へ向かい、次の3通りの言い方でお願い事をしました
1.「すみません、5枚だけなのですが、先にコピーをとらせていただけませんでしょうか」
2.「すみません、5枚だけなのですが、急いでいるので先にコピーを取らせていただけませんでしょうか」
3.「すみません、5枚だけなのですが、コピーを取らなければならないので、先にコピーを取らせていただけませんでしょうか」
3番目のお願いは、明らかに理由がおかしいですね。全然、きちんとした理由になっていません。
1番、つまりお願い事だけを行う場合、60%の人が順番を譲ってくれました。そして2番、お願いにちゃんとした理由をつける場合は、94%もの人が順番を譲ってくれました。そして、3番目のように理不尽とも取れる理由をつけ足した場合でも、なんと93%の人が、順番を譲ってくれたのです。
この実験から、人は理由を耳にしているときに、その内容ではなく「~なので」という言葉だけを聴く傾向にあるという仮説が得られます。そして「~なので、~してくれませんか」とお願いされたとき、「理由があるならしょうがない」と、機械的に要望を受け入れているのではと考察されるのです。
この、外部からの働きかけに人が意識しないで反応するような機械的な行動は、テープレコーダーの再生ボタンを押すカチッという音と、砂嵐がサーっと流れる音になぞらえて「カチッサー理論」と名付けられました。
ただ、この実験では、ささやかな要求である場合しかカチッサー理論は成り立たないことも示されています。コピーを取る枚数を20枚にしたところ、3番目のような理不尽な理由では、依頼された人は容易に首を縦に振らなかったためです。
ということは、お願い事に添える理由は何でもいい!
「ちょっとあれ取って」「資料をコピーしてくれない?」「お客様へのお茶出しを、代わりにやってほしい」など、会社にも家にも、ささやかな頼みごとはあふれています。ゲームに熱中している子どもにお願い事をするとき、おしゃべりに興じている同僚に手を貸してほしいとき、とにかくどんな内容でもいいから理由を付け加えてみれば、協力してくれるかもしれませんよ。
一度でもお願い事を聞いてもらえる経験をすると、依頼することに自信を持てます。だんだん、いろいろな用件についてのお願いが上手になっていくはずです。まずは、成功体験を積み重ねましょう。
筆者も経験した、忘れられない出来事
最後に、私がカチッサー理論を目の当たりにした出来事をご紹介します。そんなに混んでいない電車内で、学生風の若い女性が私のいたボックス席に座りました。2人ではす向かいに座り合わせ、しばらく時間がたったころ、彼女が突然「すみません、次の駅で友達が乗ってくるので席を譲っていただけませんか」と言ったのです。
私はうなずいて席を離れ、誰も座っていないボックス席を見つけて席に着きました。しかし、その後ゆっくり考えてみると、どうもおかしいと気づきました。友達とゆったりボックス席を使いたいなら、彼女のほうが席を立ち、空いている席を探してもよかったのではないでしょうか。彼女の座ったボックス席には、すでに私がいたのですから。つまり、自分が席を立ちたくないために、私に頼んだのです。
「してやられた」感と、「こういうこともあるのだな」と妙に感心する気持ちとを抱えながら帰路についたことを覚えています。彼女は、カチッサー理論を知っていたのでしょうか。15年たっても、いまだに忘れられない出来事です。
参考:『影響力の武器 第3版』ロバート・B・チャルディーニ、誠信書房