「あんなことばかりしているから、あいつはダメなんだよな」と他人をあざ笑うのに、自分の仕事は満足にできない。そんな人は周りにいませんか?自分を顧みない上から目線の人の心理を説明しましょう。
- 上から目線で周りをバカにする
- 認められないのは周りが悪いから
- 「神経症的自尊心」と「意識高い系」
- 自分だと普通だと受け入れる
上から目線で周りをバカにする
いつも上から目線。自分が特別に扱われるのが当たり前。上昇志向も強いのに、実際には人からあまり尊敬されない。そんな人は周りにいませんか? 一緒に居るとゲンナリするタイプですが、彼らの心を覆っているのは不安らしいのです。
1885年生まれの著名な精神分析家であるカレン・ホーナイは、現実にそぐわない自己イメージを周囲に認めてもらおうとする心理を、「神経症的自尊心」と名付けました。
現代でも新入社員が職場で働き始める4月に、困った新人として紹介される記事などには、このタイプが必ず含まれています。
「こんな雑用をやるために会社にいるのではない」「自分の方が仕事できるから早く権限が欲しい」などと言い出す。その強気を周りは不思議に感じますが、当人は周りより自分は有能だという姿勢を崩しません。
認められないのは周りが悪いから
加藤諦三・早稲田大学名誉教授は、「神経症的自尊心」を持つ人について次のように書いています。
「実際の体験を元にして心の中にでき上がる心理的安定ではなく、実際には何もしていないのに、『俺は偉い』と思おうとする心理である。自信に到達するのに特別のバイパスを通って行こうとしている。だからいつになっても本当の自信が出来ない」
つまり土台が脆弱なのでいつも不安があり、その不安を隠すために虚勢を張ってしまうのです。
その虚勢を認めてもらいために、恋人や家族から特別扱いされることを期待するそうですが、結果的には、期待にそぐわない対応に怒りを示すことになってしまいます。
自分はいつも人より特別に扱われると思っていますが、その期待は裏切られ続けるのです。
「神経症的自尊心」と「意識高い系」
こうした自意識と現実とのギャップは、「意識高い系」と呼ばれる人たちにも通じるところがあるようです。
『「意識高い系」の研究』(古谷 経衡 著/文藝春秋)には、意識高い系の定義として次の5つを挙げています。
①土地に土着していない(よそ者)
②その土地を両親など(上級の親族)から相続していない
③「スクールカースト」において第一階級に所属せず、もっぱら第二階級に所属していた
④承認経験が乏しいために、必要以上に他者へのアピールを欲する
⑤自己評価が不当に高い
この論文はいわゆる「リア充」と呼ばれる、都会で充実した日々を送っている人々との比較のため、土地やスクールカーストなどの「階級」への言及が多いのですが、心理的には④と⑤のように定義づけられており、その特徴はここまで書いてきた「神経症的自尊心」の人と似ているようです。 とはいえ『「意識高い系」の研究』には、「意識高い系」は
「イベントやセミナーに参加した自分を、被写体として撮影する」
と書いています。そうした行動は、「神経症的自尊心」を持つ人の「実際には何もしていのに、『俺は偉い』」といった思考とは違うとも感じました。 ところが本書には、「意識高い系」にとってセミナーで自身のさまざまな「実力」をアップさせることが重要なのではなく、
「あくまでもそこにコミットしている自分、という自己宣伝が重要なのである」
と喝破しています。
その意味では、「意識高い系」のセミナーも「神経症的自尊心」の人達の「自信に到達するのに特別のバイパス」に過ぎないというわけです。
自分だと普通だと受け入れる
「神経症的自尊心」の人は現実の自分と理想の自分が合致しないことを、現実が悪いためだと主張し始めます。加藤名誉教授も
「他人は自分を普通の人として取り扱う。すると侮辱されたように感じる」
と書いています。
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また、こうした行動の結果、本当の自信をつける機会を失っていき、現実とのギャップは開いていきます。そうした不安を埋めるためにお金や名誉にこだわるのも、このタイプの人の特徴とのことです。
一方、「意識高い系」についても、『「意識高い系」の研究』には次のように書いてあります。
「彼らの世界観の中で『洗練され』、『格好の良い』ことだけを追い求めようと自らをひたすら粉飾し続けるのである」
そして「意識高い系」を離脱するためには、
「他人に認められたくば努力をし、客観的におよそ万人がグゥといえるほどの実績をこの現生に残すよりほかはない」
とも書いています。
現実から目をそらしたいがゆえに、どんどん状況が悪化するというスパイラルを止めるには、自分が普通だということを受け入れなくてはいけません。世界の片隅で静かに努力し続ける時間の大切さを、肝に銘じる必要があるでしょう。
参考:
『「意識高い系」の研究』(古谷 経衡 著/文藝春秋)