SNSの投稿などに怒りをぶつけた経験はありませんか?芸能人の不倫や店舗での営業妨害行為など、そんなことをする人の気が知れないし、許せないと思って、つい攻撃な言葉を発してしまう。でも、それは中野信子氏が「正義中毒」と呼ぶものかもしれません。
- どうして許せないのか?
- 日本文化も「正義」への意識を強くする!?
- 他人を許せない「正義中毒」に陥らないために
どうして許せないのか?
考えてみれば、自分の生活には影響しない芸能人の不倫に、どうしてあんなに罵詈雑言を吐いてしまうのでしょうか?もちろん不倫は法律的に問題があります。損害賠償請求を受けることもあるでしょう。しかし自分はこの不倫の被害者ではありません。
こうした行動の裏側には、次のような生理現象があると中野さんは書いています。
他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され快楽物資であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して人を許せなくなるのです。
『人は、なぜ他人を許せないのか?』(中野信子/アスコム)は、ネットで正義を叫んでしまう「正義中毒」に陥り、その状態が苦しいと感じている人に向けた書籍です。
日本文化も「正義」への意識を強くする!?
この本の冒頭で示され、「なるほど」と納得したことの一つは、「正義中毒」にかかっていても、多くの人がだれかれ構わず攻撃をしかけているわけではないということです。
むしろ普段は常識的な人なのに、ある状況になると豹変してしまうようです。歴史の問題は歩み寄れない、政治の問題はヒートアップしてしまう、ネットの世界だと激高してしまうなどなど。特にネットが「正義中毒」を強めているのではないかといった指摘もしています。
互いを「許せない」と感じてしまう正義中毒は、実は人間である以上、どうしようもないこと
と分析する中野さんですが、日本文化には「正義中毒」を強めしてしまう要因があると書いています。それが均質な集団を良しとする意識です。中野さんが住んでいたフランスでは、「みんなと同じこと」がバカにされる傾向があるそうです。確かにみんな意見がバラバラなのが当たり前といった文化なら、「あの人の行為は許せない」とはなりにくいでしょう。逆に均質が当たり前であればあるほど、「仲間外れ」といった排除が起きやすくなります。
さらに議論が成り立たず、議論が深まらず、言い合いのようになってしまうことも指摘されています。
日本では主張と人格とが分離されず、容易に人格攻撃へとつながります。
といった指摘と、フランスでの議論のあり方の違いの解説は、フランスで暮らしてきた著者ならではのものでしょう。
他人を許せない「正義中毒」に陥らないために
文化的にも「正義中毒」になりやすい可能性を持つ私たちが、どうすれば自分の「許せない」をコントロールできるのでしょうか?
そのコツを、中野さんは
自分が正義中毒状態になってしまっているのかどうかを、自分自身で把握できるようになることがとても重要です。
と書いています。
そのために怒りがわいたときには、正義中毒になっていないのかを一呼吸おいて判断するようにアドバイスしています。
さらに人を許せない他者はもちろん、自分の愚かさも認めることが行動を変えていくことにつながるそうです。自分を客観的にとらえ、自分にも他人にも一貫性を求めない態度が大切とのことです。
誰でもなってしまう可能性があるからこそ、「正義中毒」に陥らないようにしたいものですね。
中野信子さんが推奨する心理学の学びに関するインタビュー動画は、こちらからご覧ください。
参考:『人は、なぜ他人を許せないのか?』(中野信子/アスコム)